本年もよろしくお願いいたします

今年の初日の出は天気予報どおり曇りでさびしい日の出となってしまいました。


例年行っていた茨城県の鹿島ウィンドファームではなく、今年は長野県の松代での年明けでした。

今年は仕事的にいろいろ大変な一年になりそうですが、なんとか乗り切って笑える一年にしたいものです。

年末へ

天皇誕生日の休日、
ごみ棄てて、周り軽く掃除して今週のごみ当番終了
その後、背広とズボンをクリーニング屋さんに出して、郵便局にamazonに注文出して受け取れなかった、「北海道廃止ローカル線写真集 追憶の鉄路」工藤裕之を受け取りに、写真集として2500円でこのボリュームはすごいと思うけど、丸田さんの「廃道」のクオリティを見てしまうと写真集というより資料としてみたほうがいいのかもしれない。

続いて寒風吹く中、居間の障子を張替えるべく外で水洗い、きれいになったように見えてけっこう紙のカスが残ります。
で、先週洗ったパソコン部屋の障子を張替え、チューブ入りの障子用糊を使ったけど思いのほか消費してしまったので、居間用にはもう一本追加購入。うまく張れたかは、いや正直駄目なレベルですな^^;

同時進行でガスコンロの掃除と換気扇の掃除、といってもそれようの洗剤つけて拭くだけ…
しかし、換気扇、古いから仕方ないけど外れないのが痛い。今度の更新の時、言って見ようかな…

大体終わったところで持ち帰りの作業、愛用してきたマイクロソフトトラックボールの動きが本格的にやばくなってきた。
仕方ないので、代替品をとヨドバシ.comをみたら、それなりに動く、でもやっぱりもう駄目だよなー、代替どうしよう…
マイクロソフト様、トラックボールの再生産を…

と途中で疲れてダウン、2時間ばかり睡眠、起きたらもう真っ暗で、朝出した背広とズボンを受け取りに行く。
そのままスーパーへ買い物、鍋の具材を購入したけど、正直作る気力は今無いので巻き寿司といなり寿司を夕飯に、食事の後作業を再開してあれこれしてたら、もう一日も終わりの時間に…、しかし寒かった


というぐたぐたな一日でした。

月食と

休みの土曜日、ゴミ袋を3枚ほど満杯にして、夜は皆既月食祭りへ

ほぼ直上というのもですが、非常に撮影が難しかった、ピントもぜんぜんつかめないし、知り合いはテレコン2倍で撮影されてたけれど、せっかくの素敵な天体ショー、もう少しうまく撮影できればよかったのにて…残念です。

日曜日は作業の後にジョイフル本田に買い物、アパートの備え付けの明かりがインバーターがおかしいのかブンブンうるさいのでとうとう買ってきました。静かで明るいです。もっと早く用意してればよかった。
帰り、車を運転していたら夕焼けの中の富士山が、

ちゃんと全景が入るところで車を止めて撮影、東京スカイツリーも写っています。

いっこうに進まぬ編集作業

土日は家にこもって掃除と仕事(笑)
あふれた本を廊下に出すという荒業を使って、パソコン部屋の掃除機かけ
最終的にあふれている本は押入れにinなんだけど、これもどこまでもつやら、
捨てなきゃなー

それでも掃除は終わらなかったんですがね…

で今日もちょっとだけ先日撮影した屋代線の映像を見る。自分のための記録とはいえ、誰かに見てもらいたいならそれなりの編集をしなくてはならないのだけど、
なかなかまとめることができないのが実情

それ以外にも編集しなきゃいけないビデオと写真があるのだけど、なんとかしたいですね

しかし、今日は一日頭が痛くて参りました。
夕飯はカレー作るつもりだったんだけど、スーパーで具材を買ってきてダウン、頭痛薬のんで寝たら、楽になりましたが…

とある旅行の記録

以前、富士ぶさで鹿児島旅行(初めてのそして最後の西行ブルートレインでの旅行)に行く前に、実家で先祖の住んでいたあたりについて聞いたら、それなりの情報を入手することができた。
その中に、曽祖父の友達の方のお父さん 田中鉄次郎さんという方が昭和14年に鹿児島に行ったときの記録のコピーがあった。
鉄道にのった時間や、何にお金を使ったのかなど細かく住所録用のメモ用紙に細かく記載されていて、なかなか面白く以下に書き出してみる。

鉄次郎さんの旅行は
東京駅 午前10時30分発
下関 翌午前6時50分着 午前7時15分発
門司  午前7時30分着 午前8時50分発
鹿児島 午後4時56分着 午後6時10分発
加治木 午後6時40分着
となっている。門司から鹿児島までは8時間 ルート的には鹿児島本線をつかったんじゃないかなと思われるが、正確には不明である。
なお、今月の鉄道ピクトリアル連載の弾丸列車計画の全貌(1)に昭和13年10月の東京-下関間旅客列車運行図表なるものがあったので、それと重ね合わせてみると東京-下関間は1009列車と9列車が5分か10分の差で発車している。両方ともほぼ平行線で下関まで行っているのだが、当時の知識が足り無すぎてわからない。
なんとなく特急で行ったんじゃないかと夢を見たいが、果たして…
ちなみにメモには 汽車賃として
東京-加治木 汽車賃 12円50銭
東京駅-下関 急行券 1円35銭
門司-鹿児島 急行券 70銭
と記載されている。
それ以外には下関と鹿児島での赤帽への代金が20銭とか弁当代が40銭、アイス代10銭などの記載がある。
なにかこれを見ているだけでも戦前の旅行についてあれこれ想像してしまうのだ。

洪水の記憶

長野電鉄 屋代線(旧河東線)を撮影してきたのですが、その撮影ポイントを探していて出会ったのは、千曲川の洪水の記憶でした。


長野県千曲市土口 にある治水の記念碑脇にある洪水の記録、明治43年の大洪水では人の背丈ほどまで水がきていたことがわかります。




長野市松代町にある離山神社、この神社では1742年の大洪水で周辺の住民がこの狭い神社の高台に難を逃れたのはいいのですが、狭かったため、凄惨な状況であったということです。

まあだからどうというわけではないですが、治水って大事だなということをいまさらながら感じてた旅行でした。

再訪したい!

2月に行った長野電鉄の旅、そのとき撮影したビデオの編集をしてみたりしているのだけれど、
どうも納得のできない映像ばかり…、もう一度行って撮り直したいという気持ちは高まるのだけど
仕事はたまっているし、お金はないしで、正直日帰りでもいいから行ってこようかと思案中